尊敬も褒め言葉もいらないから当事者であれ!

Contents
わかったような事言われても
先日の夕方。
夕飯の買い物を終えて、娘の保育園のお迎えに向けて家路を急いでいました。
そこで道いっぱいに広がる3人のサラリーマン。
2人は男性で1人が女性。
急いでるのにうっとうしいなぁ、と追い抜こうとタイミングを見計らっていたら、
「女性はさぁ、子育てとかしながら働いて大変だよねー!」と男性。
「うちの妹は子どもがいるんだけど、本当に大変そうだもんなぁ」
「もう、男の何倍も大変だよね。マジで尊敬するよ。本当に凄い!」
いやいや、あなたの後ろでイライラしてるのは、買い物袋ぶら下げて娘のお迎えに急ぎ向かってる男ですが。
ちなみに、女性は驚くほどの冷ややかな空笑い。
その間もずっといかに女性が子育てと仕事の両立が大変で凄いかについて、語りながらリスペクトを繰り返す男性。
(どうしてそう言う話になったのかは知らないけど)当事者でもない、自分ごとでもない、詳しい事情だって知りもしない人に尊敬なんかされたくもないわ!
と(赤の他人の男性だけど)思ったわけです。
当事者であること
「凄いね!」「尊敬するよ!」というのは下手をすると言ってるだけに聞こえてしまう。
夫婦のコミュニケーションでも、感謝を伝えよう、とは言うけれどこんな風に空々しく聞こえるくらいなら余計な事言ってくれるなって感じです。
一度でも体験して、その上での共感ならまだしも受け入れやすいのだけど。
さいごに
道行く他人の会話でイライラするなんて、基本的にありませんが虫の居所が悪かったのか随分とカチンと来ました。
これが自分のパートナーだったりしたら(当事者意識もなく、やたらとリスペクトだけを繰り返すようなパートナー)もうやってられません。
やっぱり、家庭への関わりはいかにオーナーシップを持って関わるかが大切ですね。
LEAVE A REPLY